【父が娘に語る経済の話。】優しさと親しみに溢れた文章ながら、経済の根幹が描かれている【書評】

書評
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経済の話なんて、小難しいばかりで、実際には何も役に立たないじゃないか。

そんな話をするより、もっと生活で役に立つ本を読んだ方が良いよ!

本書では、「専門家に経済をゆだねることは、自分にとって大切な判断をすべて他人にまかせてしまうこと」だと言っているわ。

私達は経済活動を通して普段の生活をしているのよ。

その普段の生活が、どういう歴史を辿り、どうやって成り立っているのかを知ること。

そいて、それに対する自分の意見を持つことは、これからの人生を生きる上での指針になるはずよ。

 

本書の正式名称は「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」

まるで、ラノベのタイトルかってくらい長いですね(笑)

本書は、ギリシャで財務大臣を務めながらも、革ジャンにスキンヘッドでバイクを乗り回し、マスコミに「政界のブルース・ウィリス」と呼ばれた猛者!ヤニス・バルファキスが十代の娘に向けて書いた本になっています。

文章も、本当に娘に話しかける様な優しさに溢れていて、とても読みやすく、わかりやすく書かれています。

戯曲:ファウスト・フランケンシュタイン、映画:マトリックス・スタートレック、逸話:アキレウスなど、どこかで聞いた事のある話が例えに出されています。

それぞれの物語から経済の役割や、時代と経済の移り変わりを読み解いていく様は、本当にお父さんが子供と語り合っているようで、どんどん続きが気になってすぐに読み終えてしまいました。

侵略者が侵略者たりえた理由とは?!

オーストラリアを侵略したのはイギリス人だが、どうして逆じゃ無かったのだろう?

《中略》

全ては「余剰」から始まったと言った。農作物の余剰によって、文字が生まれ、債務と通貨と国家が生まれた。それらによる経済からテクノロジーと軍隊が生まれた。

つまり、ユーラシア大陸の土地と気候が農耕と余剰を生み出し、余剰がその他のさまざまなものを生み出し、国家の支配者が軍隊を持ち、武器を装備できるようになった。

《中略》

だが、オーストラリアのような場所では、余剰は生まれなかった。まず、オーストラリアでは自然の食べ物に事欠くことがなかったからだ。

-書籍「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」より抜粋-

本書中ではアボリジニーへの侵略を題材として扱っているが、これは、すべての地域の共通原理といえます。

実際、北半球と南半球では、歴史的に文明発展に大きな開きがある地域が多く、往々にして、南半球は先進国が少ない状況です。

人間の進歩には、恵まれた環境ではなく、不足、不便といったマイナス面が必要だと言うことでしょうか。

これは、私達、個人個人の成長にも言えることかも知れません。

キリスト教の教えには「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言う言葉があります。

試練という名の”自然環境”を与えられた人間は発展し、与えられなかった人間は侵略を受ける、というのは、なんとも皮肉にも、感じてしまいますけれどね。。。

貿易がグローバル化した事による封建制度の崩壊!

ヨーロッパの船乗りは新しい航海ルートを発見し、それがグローバル貿易につながった。

《中略》

イングランドやスコットランドで羊毛を船積みし、それを中国で絹と交換し、絹を日本で刀と交換し、インドで刀を香辛料に換えてイギリスに戻る。するとその香辛料で、最初に船積みした羊毛の何倍もの羊毛が手に入る。これをまた最初から繰り返す。

《中略》

ビーツや玉ねぎなんてつくっている場合じゃない。小汚い農奴を全員締め出して、代わりに羊を飼うんだ。

《中略》

これが「囲い込み」だ。

-書籍「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」より抜粋-

貿易はどこの時代、国でも行われて来た、当たり前の文化です。

日本でも戦国時代から、特産品同士の貿易は盛んに行われていました

  • 豊後(大分県)では「鉄」
  • 薩摩(鹿児島県)では「硫黄」
  • 石見(島根県)では「紙」
  • 駿河(静岡県)では「木綿」
  • 蝦夷(北海道)では「金」

と、上げれば枚挙にいとまがありません。

しかし、一国の中で行われているだけでは、単なる”市場”が各所にあっただけです。

この”市場”が貿易として、グローバル化したことで、これまでの封建制度で行われていた、農耕を主とした生活が一変します。

”市場”から”市場社会”となり、物の価値は、物流によって高められる時代が訪れました。

こうして、農奴は職を失い、代々続いてきた農業という家業を追われ、それぞれが自営業者として働き口を見つけなければならなくなってしまいます。

果たして市場社会で、本当に”自由な者”は存在するのか?!

元農奴たちは小規模な事業を経営する起業家のようになった。

しかし、事業を起こすには先立つ資金が必要だ。賃金を支払い、作物の種を買い、領主に地代を払わなければならない。作物ができる前にそのおカネが必要になる。起業家になった農奴たちにはそんなおカネはなかったので、借りるしかなかった。

《中略》

借金が生産プロセスに欠かせない潤滑油になったのだ。利益自体が目的になったのも、このときだった。利益が出なければ、新しい起業家たちは生き延びることができないからだ。

《中略》

新しいテクノロジーが競争優位の源泉となり、起業家にはそれを追求する強い動機があった。

《中略》

もちろん、テクノロジーは高くついた。さらに借金を重ねなければ、技術は手に入らなかった。

《中略》

莫大な富が生まれるのと同時に、借金が増え。貧困はますます深刻になっていった。金持ちがさらに金持ちになる一方で、多くの起業家は倒産の危機にさらされ、膨大な数の労働者が過酷な条件で働かされた。

-書籍「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」より抜粋-

産業革命が起きたことで、世の中は資本主義社会へと変貌を遂げていきます。

これまでの封建制度で守られていた農奴はいなくなり、人は3種類に別れた。。。

”金持ち”、”労働者”、”雇用主”です。

”金持ち”
自分の資産を借金の形で貸し出す事で、その利息から更に資産を増やしていきます。
”労働者”
現在の時間を売って、賃金を得て生活していきます。
”雇用主”
初期費用として借金をする事は、将来の時間を前借りする事で資金を得ています

確かに、この3者では大きな開きがあるように感じるかも知れません。

しかし、役割の違いこそあれ、誰もが経済市場の奴隷で有ることに変わりがないと、感じてしまいます。

産業革命のあった18世紀から、本当の意味での”自由な者”はいるのでしょうか?

人間は回遊魚の様に、経済を動かし続けなければ、生きることが出来ない、市場社会を動かす為だけの駒となってしまったとも言えるのかも知れません。

お金儲けの為にはどんな手でも使う、それが人間の性!

ひと昔前なら、銀行は、ミリアムが借りたおカネを賢く使って借金を返済できると確信できなければおカネを貸していなかった。

《中略》

しかし、1920年代ごろに、金融業の歯車が狂った。

《中略》

たとえば、銀行はミリアムに貸し付けを行ったあと、その債権を小口に分割してたけさんの投資家に販売するようになった。50万ポンドのローンを5000人の投資家に分けるとすると、銀行はそれぞれの投資家から100ポンドずつ受け取れる。

《中略》

こうすれば銀行はすぐに50万ポンドを回収できるし、利益も受け取れる。もしミリアムが破産して借金が返済できなくなったも、5000人の投資家が損をするだけだ。

-書籍「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」より抜粋-

この歯車の狂いが、後に世界を揺るがす大事件、世界恐慌に発展します。

リーマンショックを経験した人なら、聞いたことがあるであろう、いわゆる”サブプライムローン”、そして、昨今話題になっている”ジャンク債”と呼ばれる物も、同様に経済の盲点をついた仕組みでです。

”サブプライムローン”は、アメリカで住宅購入しようとする人に対して、返済の見込みがない人に対しても、多額のローンを組める様にした事です。
アメリカは不動産バブルとなっていて、銀行は「最悪返済できなくても、住宅を差し押さえれば良い」と考えられていました。
しかし、その不動産バブルが崩壊した事で、資金の回収目処が怪しくなり、ローン(債権)を証券化していたものが急落。
大手銀行のリーマン・ブラザーズは倒産に追い込まれる事になりました。

つまり、私達は100年前から同じ失敗を繰り返して、金融危機を起こしているわけです。

これは、借金が経済の潤滑油として機能している限り、変わる事なく、繰り返されて行くことでしょう。

人間に欲望があり、常にもっと富みたいと言う想いがある限り、変わることはありません。

私達が本当の意味で、経済から開放され、自由(誰もがお金の心配をする必要のない社会構造)にならない限り解決できないのかも知れません。

複数の視点を持たないと、経済の流れは理解できない!

マリアはワシリーを雇おうかどうか考えている。

《中略》

ワシリーを雇うかどうかは、ふたつの交換価値の比較で決まる。

ひとつは、ワシリーが冷蔵庫の製造に貢献することで増える売上という交換価値。

もうひとつは、ワシリーを雇うことで発生する給料とその他もろもろの費用という交換価値だ。

《中略》

すると、最新のニュースが飛び込んできた。

《中略》

「労働組合は、雇用促進のため賃金の2割カットを受け入れると宣言」。その隣の社説では労働組合のリーダーが「失業否定派」の説に納得し、賃金を下げれば失業者が職に就けると考えたと説明している。

《中略》

失業否定派は、マリアが大喜びするに違いないと考える。

《中略》

問題は、ほかのすべてがそのままであり続けるはずがないということだ。

一律に賃金が下がれば劇的な変化が起きる。中でもいちばん変わるのは、消費者の購買力だ。

《中略》

そして、おそらくマリアはワシリーを雇わない。

《中略》

労働市場は労働力の交換価値だけだ動くものではない。経済全体の先行きに対する楽観と悲観に左右されるのだ。だから一律に賃金。下げても雇用は増えないし、逆に失業が増える可能性もある。

-書籍「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」より抜粋-

これは、コロナ禍の現在の株高になっている以下の要因と似ていますね。

アメリカでは雇用統計で失業者数が増えているにも関わらず、株価が上昇するという異常事態がおきました。
普通に考えれば、失業者の増加は消費の低下に繋がり、株価の下落に繋がると予想できるにも関わらずです。
これは、失業者数が増加したにも関わらず、平均給与が上昇した事が原因と言われます。
つまり、実際に消費をする高所得者層は解雇されておらず、消費の落ち込みにはつながらないとの見方が強まったわけです。

私達はひとつの立場で、社会にいるわけではありません

ある時は資産家として株を売買し、ある時は会社員として働き、ある時は親として子育てをする。

社会のニュースや事象も一つの側面だけでは、その原因と結果を正確に把握する事は出来ません。

何事にも、複数の側面があり、誰かのGOODニュースは、誰かのBADニュースになりえると言う視点を常に持っていたいですね。

自分の人生の主人公で居続けるために!

HALPEVAMは『マトリックス』に出てくる、人類を奴隷化して仮想現実に閉じ込めるような、人間嫌いの恐ろしい機械とは正反対だ。HALPEVAMは人間にとって信頼できる召使いであり、究極の喜びを与えてくれる機械だ。

《中略》

君が至福の喜びに浸っているあいだ、医療ロボットたちが最先端の施設で君の体をいたわり、いつも万全の状態に保ってくれる。

君なら壁の向こうに飛び移るだろうか?

《中略》

君は永遠に壁の向こうで過ごしたいだろうか?

《中略》

欲望を満足させることと、本物の幸せはどこが違うのだろう?

《中略》

HALPEVAMが与えられるのは、われわれが今の時点で望んでいるものだけだ。しかし、本物の幸福を味わえる可能性のある人生とは、何者かになるプロセスだ。

《中略》

人の性格と思考と好みと欲望はつねに進化していく。

《中略》

満足と不満の両方がなければ、本物の幸福を得ることはできない。満足によって奴隷になるよりも、われわれには不満になる自由が必要なのだ。

世界と衝突し、葛藤を経験することで、人は成長する。HALPEVAMは人間に奉仕するために開発されたとしても、結局は人間をディストピアの中に閉じ込め、人の嗜好を固定してしまいには、その中の人間は成長も発展も変身もできない。

《中略》

市場社会は、HALPEVAMほど完璧でないにしろ、われわれ人間に幻想を吹き込む。人間はその幻想に押されて行動し、創造性や人との絆や人間性や地球の未来を犠牲にしてしまう。

-書籍「父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。」より抜粋-

著者は”HALPEVAM”という架空の仮想現実マシンを登場させ、それにより、すべてが幸福な世界を投影してくれるならば、身を委ねる事を貴方は望むか?と問いかけています。

そして、それによって衣食住すべてが保証されるとしても、それを選ばない人が多いであろうことも。

著者に言わせるならば「本物の幸福を味わえる可能性のある人生とは、何者かになるプロセスだ」から、選ばないのであると。

”何者かになるプロセス”とは何でしょうか?

私はこれを、「変化する自由」と置き換える事ができるのではと思いました。

困難に立ち向かい、時には挫折する事もあるかも知れない。

良かれと思った行動が、誰にも認められない事もあるかも知れない。

それでも、自分で選び取った人生、そしてそれに伴う変化は、誰の物でもない、自分が主人公の人生です。

その人生を、作り物で塗り固められてしまう、”HALPEVAM”という仮想現実に入ってしまう事は、私達を人生の主人公から、脇役へと降格させてしまうのかも知れません。

しかし、最後にこうも問いかけています。

「今の市場社会を生きている事は、誰かに吹き込まれた理想の人生を生きようとしているのではないか?貴方の歩んでいる人生は、本当に貴方が望み、選んだ人生なのか?」と。。。

人の価値観は容易に変化します。

育った環境や、周りの人達の言葉一つで変わってしまうのです。

忙しい日々に追われる中でも、一度立ち止まって、今ほんとうに自分の人生の主人公として生きているのか、確認してみる事も時には必要なのかも知れません。

まとめ

娘に話しかける様な文章は、優しさに溢れ、とても読みやすく、好感の持てる本書でした。

また、様々な戯曲、映画、逸話など、を題材にして、その時代時代の思想や、経済状況が、芸術に反映されている事を教えてくれる様は、良質な雑学書の様でもあります。

基本的に、経済用語は一切使っていないにも関わらず、経済の成り立ちから、これから私達が直面するであろう、経済問題にまで言及しており、色々と考えさせられました。

いつか子供への贈り物として、本書の知識を正しく教えてあげられる様にならなくてはと思います!

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